2012年1月15日日曜日

2・11反「紀元節」行動 呼びかけ文

 11月6日、天皇明仁は「風邪による発熱と気管支炎」のため東大病院に入院した。やがて軽い肺炎にかかっていることもわかり、一時は高熱も続いた。多くの人びとが天皇「Xデー」の記憶を甦らせたに違いない。

 国賓として来日したブータン国王歓迎晩餐会や勲章受章者の拝謁、「新嘗祭」の儀式などを天皇は欠席することになったが、それらは天皇という制度にとってはきわめて重要な意味をもっているものばかりである。その後退院し、「公務」に復帰したが、当然のごとく、高齢の天皇の「負担軽減」を、という声が、マスメディアなどで伝えられている。

 いま、天皇制はきわめて「危機的」な状態にあると言わなければならない。右派メディアを中心として、病いを長引かせ、皇太子妃としての「公務」を果せていない(にもかかわらず、娘・愛子についてだけは熱心に動いている)雅子へのバッシングが激しく続いている。そして、それをコントロールすることができないばかりか、かえって「マイホーム主義」に埋没している皇太子にも、重ねて非難の矛先が向いている。皇太子と雅子との離婚、あるいは皇太子を「廃太子」として、秋篠宮に皇位継承順の第一位を譲れという議論も根強くある。こうしたなかで、秋篠宮は天皇の「定年制」を口にし、宮内庁長官は、「女性宮家創設」の検討について述べた。

 こうした議論がくだらないのは、それが、天皇制を存続させていくために何が必要かという観点からなされたものでしかないことによる。

 明仁・美智子は、3.11以後、震災の被災地をめぐり、被災者を慰問するパフォーマンスを精力的に行った。今回の天皇の病気も、「私」を棄て、「国民のために」駆けずり回った「疲れ」によるなどという物語がつくられている。彼らが折りに触れて、こうした「祈り」や「癒し」、「慰霊」などという行為を熱心に行って見せるのは、それが、彼らによって「完成」された戦後象徴天皇制の「核心」であることを、強く自覚しているからにほかならない。右派メディアなどによる皇太子・雅子へのバッシングは、天皇夫妻のそうした振る舞いを、次なる天皇夫妻が演じることができないだろうことへの焦燥によるのだ。それは、彼らにとっての、見過ごすことのできない「危機」なのである。

 繰り返すが、天皇制のありかたをどう見直すかという議論はくだらない。それは、天皇家という、世襲の家族が国家の機関を人格的に担っていることが生み出す矛盾であって、そのような制度それ自体がいらないという言葉を対置すればよい。だが、それだけですまないのは、一連の天皇論議が、皇室典範をはじめとする制度の改変に直結し、天皇制というものがどのような意義を持つのかということを、「国民」に対してあらためて示す「教育的な機能」を果すことになるからである。

 明文改憲への動きとも連動しつつ、天皇制をめぐる論議は当分続いていくことになるだろう。こうした状況の中で迎える「建国記念日」は、とりわけ伝統主義的右派の内部で、右派的な立場から天皇制を再組織していこうとする議論の場とならざるを得ないだろう。すでに安倍晋三は、早々と「女性宮家」が男系主義をくずすものとして「懸念」を表明した。われわれは、このような天皇論議が、いずれにしても天皇制の再評価=再構築につながるものであることを批判し天皇制をめぐる議論の枠自体を転換させていかなければならないと考える。いまこそ、あらためて、天皇制はいらないという声を明確にしながら、我々の側からの天皇制批判の内実をつくり出していかなければならない。そのための共同の取り組みに、ぜひ参加・協力を。